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箱根駅伝

限られた者だけの称号《山の神》とは?歴代3選手もご紹介♪

新春の一大スポーツイベントといえば《箱根駅伝》ですね。箱根駅伝は毎年1月2日・3日に開催される学生駅伝の最高峰で、往路復路合計10区間を10人の選手で駆け抜けます。

 

箱根駅伝の全10区間の中で最も注目を浴びる区間が高低差の激しい第5区で、時に『山の神』と呼ばれる名選手を輩出します。ここでは『山の神』とは何か?また歴代3選手についてご紹介します。


どうして『山の神』って呼ばれるの?

箱根駅伝は東京大手町から箱根の芦ノ湖までを往路復路それぞれ5区間、合計10区間に分けています。

 

箱根駅伝の特徴はなんといっても「高低差」にあります。箱根駅伝の片道107キロのコースにおいて第1区から第4区までの高低差はあまりありません。

 

しかし小田原中継所から往路ゴールの芦ノ湖まで約23kmのコースとなっている第5区は高低差が864mあり、「山登り」といわれる難コースとなっています。

 

第5区は他の区間と比べて特殊であるがゆえに個人の力量によって第4区までの大差を挽回する大逆転劇がこれまでに何度もありました。

 

そのため第5区で圧倒的な実力を示した選手に対し『山の神』と称するようになりました。つまり第5区を走る選手全員が『山の神』と呼ばれるのではありません。

 

優秀な成績と強い印象を残した者のみ、数多の選手の中でも選ばれし者のみに与えられる称号ということです。


『山の神』と呼ばれた選手はたった3人!

箱根駅伝は日本一の歴史を誇る駅伝ですが、『山の神』と呼ばれた選手はたった3人しかいません。それでは歴代3選手を順にご紹介します。

 

 

初代:今井正人

今井正人選手は順天堂大学の選手で、2004年の1年生から2007年の4年生まで合計4回出場しました。1年生の時は第2区を、2〜4年生の時に第5区を走りました。

 

初めて第5区を走った2005年の第81回箱根駅伝で第5区史上最多となる11人抜きを達成し、多くの方の注目を集めました。

 

2006年には第6位で襷を受け、5人抜きを達成して往路優勝に貢献しました。2007年には第5位で襷を受けましたがトップでゴールし、往路優勝に貢献しました。

 

今井正人選手が3年間で抜いたランナーは20人以上!さらに3年連続で区間賞を達成したことから初代『山の神』と称えられました。

 

 

2代目:柏原竜二

柏原竜二選手は東洋大学の選手で、2009年の1年生から2012年の4年生まで合計4回、第5区を走りました。

 

2009年の1年生の時は8人抜きを達成し、前年の今井正人選手の区間記録を47秒も更新し、東洋大学の往路優勝と総合優勝に貢献しました。

 

2010年には6人抜きを達成し、さらに前年の自身の区間記録を10秒更新、2年連続の往路優勝と総合優勝に貢献しました。

 

2011年には2人抜きを達成して往路優勝に貢献しましたが、右ひざを痛めていた影響も有り区間新にはなりませんでした。

 

2012年にはトップで襷を受け、そのまま首位独走で往路優勝と総合優勝に貢献しました。

 

柏原竜二選手にとって最後の箱根駅伝となった2012年には2010年の自らの区間記録を29秒も上回る好タイムを出し、4年連続の実力から『山の神』と称えられました。

 

 

3代目:神野大地

神野大地選手は青山学院大学の選手で、3年生の時に第5区を走った記録が話題となりました。神野大地選手が3年生だった2015年、トップと46秒差の2位で襷を受け取りました。

 

しかし神野大地選手はトップの駒澤大学の選手を抜くと高低差846mを感じさせない走りを見せ、2位に4分59秒という大差を付けてゴールします。

 

この驚異的な記録はそれまで柏原竜二選手が保持していた区間記録よりも24秒速く、区間も20m延長されていたことから『3代目山の神』と称えられました。

 

 

いかがでしたか?箱根駅伝には時に『山の神』と呼ばれるスター選手が現れます。ぜひ新たな『山の神』誕生を期待しながら観戦してみて下さいね。

 

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